醍醐寺のほとけさま
往立空中の阿弥陀佛
醍醐寺のご本尊である【往立空中の阿弥陀佛】は、日本で唯一の台座が無い、空中に浮いた阿弥陀三尊像です。
このお姿は『観無量寿経』に記された、私たちに教えを説くために、観音・勢至の二菩薩を伴い、天空から降臨して空中にお立ちになるお姿を表しています。
佛前に端座されますと、あたかも三尊が金色の雲に乗って、拝む人へ近づいて来られる心地がいたします。
勢至菩薩
阿弥陀如来の【智慧】の光を象徴しています。
欲望と執着と精神のみの世界を輪廻することから超越し、迷いの世界から脱け出ようと説かれます。
阿弥陀如来
西方の極楽浄土の救主で、生けとし生けるものすべてを救うほとけ様です。
また、無量の光で現世をあまねく照らされます。それ故に、無量寿如来とも無量光如来とも呼ばれています。
観音菩薩
阿弥陀如来の「慈悲」のこころを象徴しています。
千手観音や馬頭観音など三十三の姿に変化され衆生を救うことに忙しく立ち働いておられます。
韋駄天尊
醍醐寺の鐘楼門にお祀りされている韋駄天さまです。
随分傷んでおりましたが、修復の際、自転車乗りの皆さんに、シューズを脱がずにお参りいただけるよう鐘楼門にお祀りされる様になりました。
お釈迦さまが荼毘に付された際、その骨を盗んで逃げた捷疾鬼を追って取り押さえたことから足の速い神、魔除けの神として有名です。
醍醐寺では不定期で、いだてん祭りが行われます。
鐘楼門の韋駄天尊
修復前の韋駄天尊
修復後の韋駄天尊
胎蔵界大日如来
大日如来坐像(座高135cm)
境内の大日堂にお祀りされている胎蔵界大日如来坐像です。
胎蔵界大日如来は金剛界大日如来に比べ作例数が少なく、しかも半丈六※¹の堂々たるお姿が発するパワーは圧倒的です。
本体は一本の木材から彫られている『一木造り』で金泥仕上げ。
平安時代後期の作風を特徴的に残し、醍醐寺への遷座から数えて平成二十八年(2016)で350年を迎えました。
胎内文書には江戸時代に腕や脚を修復したことが記されておりますが、顔から胸にかけては制作当初のままで、八百年の時の流れがしのばれます。
像と共に岐阜市重要文化財指定を受けた木札には寛文6年(1666年)に土中から出てきた本像のために一宇※²を建立してお祀りしたと記されています。
※¹・・佛像の大きさ(高さ)丈六(座像の場合2.43m)
※²・・一棟の建物
大日堂
虚空蔵菩薩
虚空蔵菩薩は無限の智恵と慈悲を持った菩薩さまです。そのために智恵や知識、記憶といったご利益をもたらす菩薩として信仰され、その修法「虚空蔵求聞持法」は、真言を百日間かけて百万回唱えると、これを修した行者は、あらゆる経典を理解して忘れる事がなくなると伝わっています。
関西地方では、13歳になった少年少女が虚空蔵菩薩に智恵を授かりに行く十三参り一般的に行われています。
醍醐寺でも多感な年ごろを迎えるお子さん達に、虚空蔵菩薩の功徳を受けていただく為に、毎年、十三参りを開催しております。
中学校の制服が届いた頃から、遠くにお住まいの祖父母と一緒に法要出来るように、一年を通してお受けいただく事が可能です。
弁財天
元々は、現在道路となっている場所に池があり、そちらの守護神として祀られておりました。
道路拡張の為に池を埋め立てた後は、境内の社に祀られておりましたが、損傷が進んでおりましたので、修復作業を行い、令和3年に完成致しました。
七福神の一尊として、芸事や金運のご利益があるとしておなじみの神様です。
西国三十三観音石佛
元治二年(1865)建立
現在の大垣市在住の石工。井川墨太郎作。当時、弟子を5~6人抱えた親方であったことが他の資料で裏付けされています。
墨太郎は現在の養老町で産出された【養老石】を好んで使用しました。その為、石の硬さから計算される醍醐寺の石佛の風化のスピードも判明しています。
また、建立された年には三十三観音を一年ほどの納期で完成させる規模の工房をもっていた為、発注は、前年の元治元年であったと推測されます。
また、醍醐寺にある他の石佛で、顔の特徴・頭部と体のバランスが一致するものは、墨太郎の作であると推測されます。
木造彫刻と異なり、あまり日の目を見ない石佛ですが、今後の研究いかんでは、貴重なものとなるかもしれません。
また風化のスピードも判明しておりますので、出来る限り早く、屋根をつけたいとも考えております。現在、皆さまからの寄進を受け付けております。
その他
醍醐寺では、その他に秘仏である子安観音像や、あまねくすべての方を救済する地蔵菩薩などがお祀りされています。